日本中世に何が起きたか 都市と宗教と「資本主義」

日本中世に何が起きたか 都市と宗教と「資本主義」

  • 定価: (本体円+税)
発売日:
2017年03月25日
判型:
文庫判
商品形態:
文庫
ページ数:
272
ISBN:
9784044001919
label

日本中世に何が起きたか 都市と宗教と「資本主義」

  • 著者 網野 善彦
  • 定価: 円 (本体円+税)
発売日:
2017年03月25日
判型:
文庫判
商品形態:
文庫
ページ数:
272
ISBN:
9784044001919

無縁論から資本主義論へ。後期網野史学の代表作、待望の文庫化!

「なぜ、平安末・鎌倉という時代にのみ、すぐれた宗教者が輩出したのか」。高校教諭時代、教え子から問われて以来30年余、通説を覆す数々の研究の過程で見えてきたものとは何か。「無縁」論から「資本主義」論へ――対極に考えられてきた、宗教と経済活動との関わりを解明。中世社会の輪郭を鮮明に描くと共に、国民国家という枠組をも超えてゆくべき、現代歴史学の課題を提言。網野史学の全容を俯瞰できる名著。解説/呉座勇一 「なぜ、平安末・鎌倉という時代にのみ、すぐれた宗教者が輩出したのか」。高校教諭時代、教え子から問われて以来30年余、通説を覆す数々の研究の過程で見えてきたものとは何か。「無縁」論から「資本主義」論へ――対極に考えられてきた、宗教と経済活動との関わりを解明。中世社会の輪郭を鮮明に描くと共に、国民国家という枠組をも超えてゆくべき、現代歴史学の課題を提言。網野史学の全容を俯瞰できる名著。解説/呉座勇一

※画像は表紙及び帯等、実際とは異なる場合があります。

もくじ

【序にかえて】
○絵師の心 一遍と「乞食非人」  
絵師が描けなかったもの/『一遍聖絵』を読む

【1 境界】
○境界に生きる人びと 聖別から賎視へ  
自然と人間との境/境界的な行為としての交易/出挙――神物を貸し付ける/芸能と神仏/律令国家とのせめぎ合い/神仏、天皇に直属/聖なるものの「奴隷」/職能集団の形成/勧進が名目の貿易/東国と西国の違い/「資本主義」の源流/神仏の権威の低落/宗教と資本主義
○中世の商業と金融 「資本主義」の源流  
百姓の虚像と実像/米・絹・布も貨幣/信用経済の展開/海辺の百姓/山中・平地の百姓/僧侶・山臥の代官/荘園経営の日常/経営を円滑に行う能力/二十一世紀への課題

○補論 市の思想 〔対談者・廣末保氏〕  
市・辺界・無縁の空間/宗教民・芸能民・商人集団/商人=芸能者の関係/市の思想・公と私の間

【2 聖と賎】
○中世における聖と賎の関係について  
「差別」について/民族差別について/日本は「島国」か/庶民レベルの交流/遊女・傀儡について/穢れと差別/「悲田院」と非人/神の奴婢・仏の奴婢・天皇の奴婢/聖なるものの権威/南北朝の動乱以後の社会/神仏の権威の低落/多様な列島社会で
○中世における悪の意味について  
均質でない社会/ある荘園調査での体験/東と西の差異/「日本」を相対化する/「西日本」と部落問題/「悪」について/穢れについて/博打と遊女/悪党と流通・交通路/重商主義と農本主義の対立/地域の実情に即して

【3 音と声】
○中世の音の世界 鐘・太鼓・音声  
「鐘」――日常世界を超えるもの/太鼓合戦/三巴の紋―呪術的な力/音の聖性がたどる道/天につながる声/聞耳のこと/微音と高声/この世と仏の世をつなぐ声/高声念仏の秘めていた可能性

【4 宗教者】
○一遍聖絵 過渡期の様相  
はじめに/修行・伝道の旅/賦算の条件/未開から文明へのエネルギー/「徳人」の源流/「悪党」たちの支持/「非人」の救済/女性全体の救済/阿弥号を名のる人びと/むすび

【あとがきにかえて】
○宗教と経済活動の関係  

初出一覧  
解説 呉座勇一

「日本中世に何が起きたか 都市と宗教と「資本主義」」感想・レビュー
※ユーザーによる個人の感想です

  • 生や死やそれ以外の「穢れ」に関わっていた人たちは、聖なるものとかかわりが深く、尊敬もされていたが、聖なるものの地位が落ち、穢れに関わっていた人々がそこから切り離されると、途端に差別が出現してくる、とい 生や死やそれ以外の「穢れ」に関わっていた人たちは、聖なるものとかかわりが深く、尊敬もされていたが、聖なるものの地位が落ち、穢れに関わっていた人々がそこから切り離されると、途端に差別が出現してくる、という。 中世のこの時期に、親鸞さんなんかが出て来る必然など。 東日本と西日本では被差別部落に対する感じ方が違うという話などは、面白いと思うと同時に、東日本出身の人間としては気をつけなければ、と思ったりした。 …続きを読む
    yutaro sata
    2023年07月17日
    35人がナイス!しています
  • 資本主義について詰め切れなかった。飽きちゃった。元気がない。溢れるバイタリティー、膂力が滾る。そんなことがなくなってしまった。どうでもよくなった。なんで生きてるかっていうと死ねないから。魔の山の7年を 資本主義について詰め切れなかった。飽きちゃった。元気がない。溢れるバイタリティー、膂力が滾る。そんなことがなくなってしまった。どうでもよくなった。なんで生きてるかっていうと死ねないから。魔の山の7年を過ごしている気がする。いろいろ話はあったけど、その7年はただ過ぎていった。そんな時代を過ごしている気がする。カストルプ君も何も考えなかったんだと思う。いつか死ぬ。死ぬのを待ってた。そこに戦争が始まった。戦争始まらないかなー。もう従軍っていう陸地を奪うこともないんでしょ。核爆弾落として終わりなんでしょ。あとはゲ …続きを読む
    魚京童!
    2021年05月29日
    15人がナイス!しています
  • 「一体なぜ南北朝の動乱以後、遊女や非人の地位が決定的に低落したか、なぜ賤民視されるようになったか。それはこの動乱を境に天皇、神仏の権威が決定的に低落したことと表裏をなしていると考えられます…天皇は実権 「一体なぜ南北朝の動乱以後、遊女や非人の地位が決定的に低落したか、なぜ賤民視されるようになったか。それはこの動乱を境に天皇、神仏の権威が決定的に低落したことと表裏をなしていると考えられます…天皇は実権をほとんど失って、儀礼に携わる役割を主として担うようになってくる…神人の嗷訴は、南北朝の動乱を越えるころになると激減し、ほとんど起こらなくなってぎす。義満は洛中の酒屋に課税しますが、以前だったら、これは必ず嗷訴が起こったと思われます。洛中の酒屋・土倉は延暦寺の僧侶ー山僧あるいは日吉神社などの神人なので」 …続きを読む
    うえ
    2021年12月29日
    9人がナイス!しています

powered by 読書メーター

この著者の商品

最近チェックした商品